両忘

アイ・ウェイウェイ氏、拘束。

中国の現代美術家、アイ・ウェイウェイ(艾未未)が当局に拘束されているらしい。
震災にひきつづき、がつんとやられました。ショックです。

アイ・ウェイウェイというと、2009年に森美術館でおこなわれた大規模な回顧展を思い出す。そのとき、ぼくは東京にいて、Chim↑Pomの個展に行こうか森美術館に行こうか、迷った末にChim↑Pom(無人島プロダクションでのやつ)に行ってしまい....笑、貴重な展覧会を見逃してしまったのだった。手元に作品集もないので、あまり正確なことはいえないけれど、アイ・ウェイウェイは、ほんとうに面白い作品を作っている。ネオ・ダダ的なアイロニーと、精緻な伝統技術の融合、なにより発想が斬新で、圧倒的なスケールなのに威圧感がなく、ポップだと思う。そして、現体制や社会の不条理へのアクチュアルな言動。北京オリンピックでの「鳥の巣」からのエスケープと、アートと政治を巡ってのツァイ・グオチャン(蔡國強)との論争は記憶に新しいが、自分自身も田川の件で悪戦苦闘していたころ、作家の正義感の強さには励まされるところ大きかった。ゆえに、憤りと残念な気持ちでいっぱいです。

今回の拘束は、作品や制作活動というよりも、ネット上での言論活動が問題になったと聞いている。しかし、この問題をアートと切り離して考えるべきではないと思う。作品の表現内容に体制批判、社会批判があれば、やはりおなじように容赦なく拘束されたにちがいない。著しい経済成長によって、北京や上海には著名な建築家による美しい構造物が建ち並び、美術家にとってはおいしいマーケットがある。しかしその一方で、天安門事件のころからまったく変わらず、検閲や理不尽な作家の拘束がまかり通っている中国。この落差にはいつもおどろかされている。

ようするに、中国はしたたかなのだと思う。グローバル化がすすみ、世界に対して国の豊かさや「自由な精神」をアピールするのに、斬新な現代建築や現代美術が有効だと、権力者はほんとうによく知っている。芸術家にとっても、アクチュアルな言動さえしなければ、やりたいことを自由にやれて、利益も大きい。プロジェクトに立ち退きや通行規制が必要なら、当局がやってくれる。建築家や美術家にとって、中国はおいしい国である。かつて国内向けのプロパガンダであった毛沢東や周恩来の図像が、海外向けに現代建築や現代美術にとって変わっただけ、といったら言い過ぎだろうか?

民主的とはいいがたい国ゆえに、芸術家たちも一枚岩ではない。見切りをつけて国外にエスケープした作家も多いし、反対にツァイ・グオチャンのように、当局からの依頼を積極的に受ける作家もいる。ツァイ・グオチャンは国際的に有名な作家なので、アートの力で高圧的な国の体質を変え、表現の裁量を広げようとする意図があるのかもしれない。だとすれば、それはひとつ戦略だ。しかし、以前の日記(2月8日)にも書いたけれど、彼は台北でのカウントダウンイベントの不成功を民主主義のせいにしている。すごく好きな作家なのだけど、いまの彼は(一義的には)誰のために作品を作っているのか、疑問に思う。アイ・ウェイウェイと同じく彼は文革世代だが、「大切なもの」をどこか置き去りにしているのではなかろうか。

国家に直接的、間接的に利益をもたらす(もしくは無害な)芸術家だけが活動をゆるされる。そうでない場合は検閲を受け入れるしかなく、拒否すれば制限されてしまう。国や企業が芸術家と仕事をすることを否定するものではないが、意に添わないものを排除するのはフェアではない。おいしいマーケットがあり、短期間で大規模なプロジェクトを実現させる体制がある中国には、世界じゅうからすぐれた芸術が「集まる」。しかし、こういう不自然な社会の中で、国内から新しい芸術が「育つ」のはむずかしいと思う。たとえ美術史に一撃を加えるような鉄砲玉が出て来ても、そのたびに国外に流失してしまうだけではないのか。

アイ・ウェイウェイ氏の、一刻も早い解放を望みます。






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「一人一人の利益や権利が国家を通してのみ実現される制度とは、要するに、個人のすべてが国家の恩恵としかみなされないということだ。就職や住居、移動や教育、そして出産から結婚にいたるまでのすべてに、国家が決定権をもっている。そのような社会で恩恵を放棄することは、生存そのものを放棄するに等しい。つまり、何が何でもこの社会に残る以外に選択の余地はないのだ。」

「選択肢が一つしかないとなれば、それはもはや選択ではない。砂鉄が磁石に吸いつく現象を、選択された結果とは言わない。砂鉄は自分の価値を失い、磁石にくっつくことで、はじめて砂鉄になれるのだ。磁石から離れれば、ただの砂に過ぎない。だから、磁石の上に残ることが、唯一の願いとなる。唯一の恐怖とは、磁石から落ちることだ。そこで、磁石がどちらに揺れようと、砂鉄はそれにくっついて踊ることになる。物質なら、それは砂鉄というが、人間ならば、それは愚かな群衆である」

陳凱歌『私の紅衛兵時代』講談社現代新書
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by ksksk312 | 2011-04-18 22:17 | 読書美術音楽、etc