両忘

神園宏彰氏の個展「線による試行」

2週間ほど前になるけれど、福岡まで足をのばして、展覧会や現代美術作家の個展を見て回った。 福岡県美術館(『大岡信コレクション展』)や青山ブックセンターのギャラリー、アートスペース獏にもひさびさに行った。 どれもおもしろかったが、そのなかから神園宏彰という方の個展(九州日仏学館、12月22日まで)について、書き記しておきたい。

神園さんは1960年生まれの写真家、美術作家、福岡市在住。
どういう仕事をしてこられたのか予備知識はゼロ。 たまたま新聞のタウン情報欄に載っていた作品の画像と個展のコンセプトに惹かれて、チェックをいれた。 「線の試行」とは、印刷物やデジタルデータなど氾濫する時代に、ものを描くということはどういうことか、 身体性の復権として絵画をとらえ直そうとする試み、そのための方法として「線」であるらしい。。

会場のギャラリーに入ると、入り口から向かって上手の壁に横長の平面作品が1点、貼り付けてある。 幅が1メートル50センチくらい、長さは10メートルを超えていただろうか。壁におさまりきらないので、左端は巻紙状になっている。 タイトルは『遠景』だという。

入り口から作品をながめると、画面全体からぼんやりと灰色の影がグラデーション状に浮き上がって見えた。 なんだろう...。遠くからは、彩色されているのか、それとも紙の質感によるものなのかわからない。 正体はなんと...極細の水性ボールペンで、画面上から下へと、ほぼ数ミリ間隔でびっしりと描きこまれていた(おそらく数千本の)黒い線であった。

これは、なんといったらいいのだろう。
線は定規をあてて引かれたものではなく、フリーハンドで描かれているので(ものすごい作業だ)、上から下へと微妙に揺れながら流れていく。 即座に連想したのは地震計の波形だが、線の密度から指紋のようにも、あるいは地図の等高線のようにもみえる。サイズがサイズだけに異様な光景。 なんか、すごい。

描かれている線はきわめて抽象的で、記号としての機能も物語性も拒否されている。 しかし、画面と対峙して喚起されるのは濃厚な人間の痕跡であるのにおどろかされる。 神園さんは自身のウエブサイトで「人間がはじめて引いた線は、どんな線だったろう」と問題提起しているが、 あたかもラスコーの洞窟壁画を発見した少年たちのように、作品を見ていると「この線は人間が描いたものとしか考えられない」 「人間にしか描けないものだ」という始源的なおどろきと新鮮さが湧きあがってくる。

別の言い方をするならば、それは狩人が深い森のなかで、突然たき火の跡を見つけたときのような...そんな感触かも知れない。 あり得ない場所で不意に遭遇する、人間の気配。そんなリアルな体験は、われわれの生活空間では不可能といっていい...。

人工物と人間があふれる都市空間のなかで、人間の痕跡(自分や他者、さまざまな類型を超えた人間の感触)、 ようするに身体性を意識することはほとんどなくなってきている。『遠景』は、都市空間に埋没した身体性を復権させるための装置であり、 リアルな「身体」そのもののといってもいいかも知れない、と思った。

さらに、個展では『遠景』のほかにもうひとつ、墨と鉛筆によるドローイングのシリーズも展示されていたので、ひと言。

こちらのシリーズは、縦長の画面に墨や鉛筆を自由に走らせ、抽象的な世界を追求したもの。 線の流れは即興的ではあるけれど、内的な調和や秩序があり、それぞれの画面で独自の世界が成立している...。 しかも、その世界はけっして完結しておらず、動的で、生々流転する過程の一瞬をとらえたもののようにもみえる。

ぼくには、墨や鉛筆で表現されたイメージが、縦長の「スペース」と格闘しているように見えて面白かった。 スペースのなかで(意図的かどうかはわからないけれど)線が調和と秩序を求め、同時に画面から飛び出そうともしている。 陰陽相反する力が画面のなかで運動をしているのだ。

縦長のサイズというのは、西洋絵画ではイコンや肖像画を原点とするのだという。 ...いや、西洋絵画にかぎらない。神の図像というのは、どの文化のものでもおむね縦のサイズにおさまるように描かれている。 (反対に横長は風景画を原点とする)
絵画の歴史とか観念の在りようが、縦長のフォーマットのなかで(必然的に)省察されているのかも知れない。そんな雰囲気を漂わせる画面であった...。

ドローイングを始めて一年と半年、人を乗せて飛べる飛行機を作らないといけないのに、プラモデルを作って喜んでいる自分が見えるようになってきた。 アーチストとして生きることや、制作することは、どういうことなのか、ヒントをいただきたくて個展に足を運んだ。

神園さんは『遠景』へのコメントに「自分の伝えたい思いやこれまでの人生の辿ってきた長い物語を語るには10メ−ターは必要」と書いている。 なるほど...。
ぼくは自分の作品に対して、こういう向き合い方をしたことは、まだない。 作品に対峙するスタンスはいろいろとあってもいいことは承知しているが、この言葉はとても参考になった。来年の活動につながればなあと思っている。


神園宏彰氏website
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by ksksk312 | 2006-12-27 15:04 | 読書美術音楽、etc