両忘

引用/大竹伸朗『既にそこにあるもの』

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「釧路に着き、根室行きの列車接続の2時間に、街中に出て「十円を拾おう」と僕は決意した。「なにがなんでも十円を拾うのだ」と、元日の雪の釧路の街中をひたすら下を見て歩きまわった。傍から見たら、さぞかしめでたい光景であったにちがいないが、そのとき、十円玉一個を見つけることにそれから先の、絵描きへの人生すべてがかかっていたのだ」 135頁

「21の時、初めて訪れた外国の地、ロンドンで、とりあえず自然に始めた事は、1日が終わり、手元に残った印刷物を単純にノートに貼ることだった。....自分のやりたいことどころか、自分の存在から遠い遠いところで世の中勝手に動いているような日々で、印刷物をノートに貼るという行為は、そんなある種の疎外感から来る圧迫感を少しでも軽くする方法といったものに近く、作品創作だとかコンセプトだとか道筋をたてて考える余裕などなかった。放り出された全くあてのない海原で、とりあえず「漕ぐ」ことを無理矢理「意味」にしていく意外方法は何もなかった」 46頁

「今日は一体何をした。仕事場へ行き、拾った昔の電子レンジをばらし、まだ動くモーターの回転を利用して音が出るものにしようと努力した。そして、モーターのプロペラに薄手のプラスチックシートの切れ端を3センチばかり突っ込むとバイクのエンジン回転もどき音が出ることがわかった。そして、もう一つ、スペイン、モロッコ、中国、香港、アメリカ、トルコの新聞紙を3〜8センチの幅で帯状に切り、木工用ボンドで指で一枚づつ塗り、脚立の登り降りを繰り返した制作中の立体物の布の表面に貼った。今日したことと言えば、その二つだ。進行中の立体物の当面の目的、そしてそれが一体いつ終わるのかといったことは僕自身にもまったくわからない。ただわかったいるのは、今これをどうしても作らねばならないといった強い思いでしかない」 19頁

「画家とか彫刻家、造形作家、どう呼ぼうがどうでもいいが、そう自ら名乗る人間にとって、作品制作における"意図"とは一体何なのだろう。意識的な制作意図をどこかしら超える瞬間のないものは、もはや"作品"とは呼べない。僕はこの"作品"と"意図"の関係が今でも不思議でならない」 59頁

大竹伸朗『既にそこにあるもの』(ちくま文庫)
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by ksksk312 | 2007-08-12 21:39 | 読書美術音楽、etc