両忘

ニューシャネル、来たる。

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大竹伸朗の回顧展が福岡市美術館で開催されている。
名付けて『路上のニュー宇宙』展。

大竹伸朗というアーチストのことを知ったのは、80年代の終わり頃だ。
ブライアン・イーノが好きで、アルバムのアートワークをしていたラッセル・ミルズのことを知り、その流れで彼のことも知った。小さな画集もいくつか持っていて、雑誌で特集が組まれるとたいてい買う。昨年の東京都現代美術館での『全景』展も喉から手が出るほど?行きたかったが、個人的にいろいろキツイ時期で、上京出来なかった。

大竹伸朗の作品、なんかもう生理的に好きである。色といい画面の質感といい、途方もない質と量のコラージュといい、パワフルで言葉が出ない。アートを見るときに、言葉が出ないというのはとても重要で、大竹のようなわけのわからない快感原則が渦巻いている作品こそが、ほんとうの意味での作品なのではないかと思う。ようするに、何度見ても飽きない。どこかにあたらしい発見があるし、発見がなくても飽きない。ぼくもそういう絵を描きたいと願っている。

現代美術は規模が大きいこと、氾濫する美術情報の中で個性を打ち出さねばならないこと、たぶんそういう事情もあってか、(まるでハリウッド映画のように)一見しただけでアーチストの意図がわかってしまうものが少なくない。遊園地のジェットコースターや観覧車が、乗らなくても(見ただけで)どんなものかわかってしまうように、作品の"意図"がわかりすぎて物足りなさを感じるときがある。

けれど大竹伸朗には、乗らないと何が起こるかわからない、乗っても何が起こったかわからないという、快感原則とイリュージョンが横溢している。彼については、ポップアートやジャンクアートの再生産している過ぎず、美術史を乗り越えていくようなものではない....という意見をあちこちで読むけれど、"新しさ"や"意図"の生産と消費を繰りかえす現代美術の世界において、真に価値ある仕事を続けているアーチストではないかと思う。

エッセイ集『既にここにあるもの』を読むとよくわかるのだが、大竹伸朗は"全身芸術家"である。目の前に転がっているもの、そこから芋づる式に導きだされるさまざまな記憶、自分の内と外から響いてくるあらゆるノイズに刺激を受けて、作品を産み落としていく途方もない"変圧器"である。『路上のニュー宇宙』展は、作品点数だけをみるなら『全景』展の3分の1程度に過ぎないけれど、それでも約600点。福岡市美術館の展示室Aをすべて埋め尽くすのだから、規模は大きい。

17日と18日。一泊二日でじっくり鑑賞する予定。『全景』展を見逃した仇を取るのだ。17日は、ダブ平&ニューシャネルのライブ(内藤和久というギタリストとのジョイント)もある(整理券が当たりました!)。楽しみ、楽しみです。




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 行ってきます!
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by ksksk312 | 2007-08-13 13:40 | 読書美術音楽、etc