両忘

ヨルゴスのこと、これからのこと。

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個展が終わって一週間たちました。
日記(とくにミクシイ)にたくさんのコメントをいただき、感激です。ほんとにありがとうございました。佐世保に戻ってから風邪をこじらせてしまい、喉をやられてしまいました。なかなか完治しないんだけど、お礼状を作ったりやることはまだ残っていて、もうひとがんばりという感じです。

最後の週末は、ほんとにいろんな事がありました。金曜日から日曜日まで時系列的に書くと長くなるので、土曜日のパーティの様子だけご紹介して、これからの活動についてぼんやり考えていることを書いてみたいと思います。

土曜日のパーティ、参加してくださったのは、関東からはるばる来てくださったMさんに加え、冷泉荘にレジデンスで滞在されている作家のHさん、ぼくの前にIAFで個展をしたきもたろうくん、あと蝶番(福岡の若手アーチストのネットワーク)のメンバーの方々などなど....。料理は佐世保から持ち込んだたけのこごはんと野菜の煮物をメインにいろいろと準備。料理はおかげさまで好評。母に感謝です。自分のパーティに来てくださった方だけの集まりだったら静かでこじんまりとしたものになってたと思うんだけど、ブッキングされていたミニライブの関係者がぞくぞくと集まってきて、準備と打ち合わせ。騒然とした雰囲気というか、にぎやかというか、そんな感じになってくる。

ライブをやったのは北九州にレジデンスで滞在していたギリシャ人のヨルゴスさんという作家の方。世界中を旅してまわる中で現地の関係者と即席でバンドを組み、ライブをやるという事をつづけているらしい。打ち合わせに呼ばれてびっくりしたのは、ヨルゴスから「ビニールテープでドローイングをしたいので壁を開けてくれ」と言われたこと。間に通訳の方がはいっているのでニュアンスがわからなかったんだけど、こちらの展示に気を配る様子がほとんど感じられない....苦笑。結局、結局空いている壁に興味がうつったようで絵を剥がされることはなかったんだけど、これって欧米人のアーチストエゴだったのだろうか....頭をよぎる。もう済んだことだけど、エゴの足りない志久はなにも考えず「壁を空けてもいいよ」と言ってしまったので、すこし反省している。場合によっては「ノー」と言うことも大切だろう。ぼくも作家なのだから。

ライブは8時半頃から始まる。ギターとベースがかき鳴らすノイズの上にヨルゴスがあれこれ英語でシャウト、ときどき日本人の女性が日記のようなモノローグを入れる。ヴェンダースの『ベルリン、天使の歌』を見たことがある方はニック・ケイブのライブを思い出して欲しい。ああいう感じです。集中して聴くとなかなかいいライブだったかも知れないが、展示を見てくださる方の接客をしたり、写真を撮ったりしていたので自分のなかではずっとBGMだった。残念。

その後、パーティは(ヨルゴスも途中で消えて、誰のパーティなのかわからなくなっていたが)大盛況でした。入れ替わり立ち替わり、たくさんの人が来ては出ていく。IAFのサトウ氏によれば、福岡、北九州の主な作家、キュレーター、ギャラリーオーナーなどなど、かなり来ていたという。「あのひとは誰、このひとは誰」とおしえてもらったけれど、あまりあいさつにいく気にもなれず、その場で知りあった若い作家の方々と楽しくおしゃべりして過ごす。なんといったらいいのか....自分が「アートの現場」に飛び込んだというより「アートの現場」が向こうから飛び込んできた....。正直、本人はすこし戸惑ってたんだけど、「これだけ関係者が顔をそろえるのはIAFでも滅多にない」(サトウ氏)そうで、そういう場に自分のパーティがなったことは良かったと思う。




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後日、ヨルゴスがどんな作品を制作しているのか気になって検索してみた。
すると北九州の古い商店街で開催されたグループ展がヒットした。

ビニールテープを部屋中に張りめぐらせたインスタレーションであるけれど、彼の作品に....非常に感銘を受けた。彼のテープの線は、ある場所ではひとをみちびく導線になり、別の場所では分かつ境界線になり、時には(体育館に引かれた線のように)ゲームの規則のようにもみえ、ある場所では象徴的な標識や図像のようにもみえる。それらはすべてつながっており、固有の意味や役割が曖昧に重なりつつ、全体としてフレキシブルな世界観が作られている。そこからぼくが受ける印象は、なんというか....深い「郷愁」だ。彼がギリシャ出身ということもあり、すぐさまテオ・アンゲロプロスの映画を思い出す。亡命者に立ちはだかる国境線、越えられそうで越えられない境界としての海、霧、河。ヨルゴスの線には、(アンゲロプロスの映画を通じて感じた)ギリシャの原風景がみえるし、北九州の風土や歴史とも共振することろがあるようにも感じた。(ついでにいうと、ビニールテープという素材がなんとも北九州的でいい)

ヨルゴスはIAFで、ビニールテープは「ドローイング」だと言っていた。北九州での展示もドローイングなのかはわからないけれど、彼なりの画であり図像であるのは間違いないと思う。これはとてもおもしろい。

コラージュであれなんであれ、自分が作家としてやっていることは古典的な「絵」を制作する作業ではある。自分と向き合い、この部屋から運搬可能な作品を生み出すこと。しかしヨルゴスは、旅先で出会った現場に自分の痕跡を残す。支持体という厳密な領域に縛られることなく、北九州のグループ展で顕著なように、他の作家に寄り添ったり侵犯したり、粘菌のように現場の壁面を徘徊する。どこからが彼の絵で、どこまでがそうでないのか、概念にとらわれるところがない。ヨルゴスは(ちょうどクリストのように)モナドの芸術家なのだろう。

で、これからのこと。

これまでどおり、作品を制作すること。未完成の作品を、一点でも多く完成へと導くこと。止まらない咳に困りつつ考えたが、結局はこれしかない。詩もまた書きはじめたいし、新しい事への関心もある。糸口は掴んでいるように思うけど、すぐに作品に反映させるのはむずかしいだろう。いろいろ葛藤はあるが、集めたスクラップが作品に変化するのは楽しい。いままでどおり、コラージュ(本人はいまいちコラージュと思っていないのだが)を制作していこうと思う。

個展をして、いろんな方と出会い、自分のフィードバックとアップデートが出来たと思います。福岡に知人がたくさん出来たし、ネットでも励ましていただいて、いろいろ課題はあるけどこれからも楽しく生きていきたい....。いい作品を制作することは、自分にも自分の周囲にもいい影響をあたえる、アートはほんとにすばらしいです。5年後、10年後の自分に期待したいところです。
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by ksksk312 | 2008-04-22 13:05 | お知らせ、個展など