両忘

ホセ・マリア・シシリア、東松照明。

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土曜日、ひさびさに長崎県美術館へ行って来た。
目的は開催中の企画展(ホセ・マリア・シシリア展)と、常設で展示中の東松照明さんの「ブリージング・アース」。どちらも期待通りの展示でした。

県美術館は開館から3年間、美術評論家の伊東順二さんが館長を務めていたけれど、あまりいい企画展がなかったように思う。例外はエデュアルド・チリーダ展くらいか。しかし今年はホセ・マリア・シシリア展、10月の舟越保武(彫刻家。舟越桂の父親)展、12月からダニ・カラヴァン展と期待できる企画展が目白押しである(とくにダニ・カラヴァン展は大好きな作家なので大注目です)。これらの企画って、伊東さんの置き土産なのだろうか。わからないけど、新館長にも充実した企画展を期待したいところ。

ホセ・マリア・シシリアの絵画は圧巻でした。

蜜蝋をたっぷりと流し込んだ乳白色の画面に、クリムゾンレッドの花が巨大なサイズで描かれている。蜜蝋の効果なのか、色彩に透明感と独特の「翳り」があって、見るものを内に引きずり込む力にあふれている。マーク・ロスコの絵や、ジェームス・タレルのインスタレーションのような感じだろうか。広大な展示空間に14点の連作が並んでいたけれど、見渡すとまるで巨大な花が踊っているようだ。いや、花というより、それは人間の魂の変容した姿のように見える。生きるものの心的エネルギーが炎のように揺れている、そんな感じである。

展示会場の入り口に、アドニスという詩人の言葉が掲示されていた。書き留めなかったので正確な引用は出来ないけれど「絶望の淵を、深い闇から薄明の闇へと移りつつ、この世界をあまねく照らし出す光などないと気がついた。そんな光がもし存在するならば、絵画も詩も死滅してしまうだろう」....たしかそんな内容の言葉だったと思う。たしかに、絶対的な「光」に満たされた世界であれば、五感も必要なければ霊感も無く、恍惚そのものはあっても芸術は生まれないかも知れない。ホセ・マリア・シシリアの絵画には、充実した闇があり、その中で夢見られた光がある。芸術も生命も闇から生まれ、闇に消えていく。そんな暗示があり、賛美しているように思えた。

それと、東松照明さんの「ブリージング・アース」。

東松さんは日本(世界かな)を代表する写真家だけれど、90年代から長崎で暮らしておられ、重要なコレクションが県美術館に収蔵されている。「ブリージング・アース」は、干拓事業で死滅した諫早湾の干潟を、直前に撮影したシリーズ。低露出の光で撮影された干潟の泥の美しさは、とても言葉には出来ない。しっとりとぬれた生き物の皮膚のようで、まさに「呼吸する大地」。この泥のなかにどれほどの魚や貝、バクテリアが棲んでいたのか。こんなに素晴らしい生命宇宙をわれわれは破壊(殺戮)してしまったのだという事実に愕然とする。

人間は美しいし、生命は美しい。世界はそれだけで計れるものではないが、ホセ・マリア・シシリアの絵と、東松さんの写真はそう語っているように思えた。




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携帯写真。
長崎へ行く快速列車の車窓から。大村湾の風景。お天気がよくて爽快な気分。ウイリアム・カーロス・ウイリアムズの「パターソン」を激読。アレン・ギンズバーグの解説文も激読。千綿あたりで、海に向かってまっすぐに延びる農道を見た。全く人気のない、土と空と海だけの世界。今度行ってみよう。たどりつけるかわからんけど....。じりじりと太陽に焼かれながら、頭を空っぽにしたいです。
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by ksksk312 | 2008-08-05 20:02 | 読書美術音楽、etc