両忘

ルーツ。

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自分の苗字、志久。珍しいです。

佐世保周辺に数軒、佐賀県の西部に遠縁の家が数軒。都会で暮らしている独身者もいるけれど、家ということならたぶん、それだけだろう。志久一族の原産地はたぶん佐賀県で、北方町というところに志久という地名がある。先祖はそのあたりに住んでいたのか....。ちなみに祖父も佐賀県の出身で、ぼくが生まれる前に他界したので詳しい事はわからないのだけど、若い頃、仕事を求めて(旧海軍の軍港として栄えていた)佐世保に出て来たらしい。佐世保市内の志久家は、この祖父の系統と、あとひとつかふたつ.....珍しい苗字なのでルーツに興味があるんだけど、まだきちんと調べた事は無い。

志久という地名は、実はもう1カ所、埼玉県にあります。
東京に住んでいたとき、テレビの旅番組でまったく偶然に発見。びっくりした。

JR大宮駅から埼玉新都市交通線(東北新幹線の高架橋の張り出し部分に敷設した第3セクター鉄道。小判ザメみたいなローカル線です)というのに乗って10分くらい。志久駅というのが、ほんとにあった。車内で「志久〜志久〜」とアナウンスされたときの奇妙な気分は忘れられない。「俺も志久だ、志久だ」と叫びだしたい?....のを我慢して降り立った志久駅は、涙がでるくらい寂れた無人駅でした。写真もたくさん撮ったけど、あの時の寂寥感も記憶に残っている。

佐賀と埼玉にどうして志久なのか。
謎が解けないまま(まあ、解こうともしてなかったが)今日にいたっていたる。

が、つい一昨日、mixiでつながっている方からびっくりするようなメッセージをいただいた。内容ですけど、東北地方には志久内という名前の方がいらっしゃるらしい。さらにその意味するところは、アイヌの言葉で「美しい川」「豊かな川」という意味であるらしい。あ。あ。あ。アイヌ。志久とアイヌ....。おどろきました。ほんとにほんとに、おどろきました。

さらに検索してみると、シクはアイヌ語で「眼」と「いっぱい」という意味があり、ナイには「沢」という意味があることがわかった。つまり志久内という苗字には「いっぱい」の「沢」、水や食べ物が豊かな水辺という意味が込められており、いまは苗字としてしか残っていないけれど、東北の何処かに「シクナイ」という名の豊かな土地(川)があったのだろう。北海道には幌内とか稚内とか、同じような地名があるし、間違いないだろうと思う。では、佐賀や埼玉の「シク」は何なのだろう。




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昔、民俗学に少し興味を持っていた時期があり、柳田国男の『海上の道』を読んだことがある。初めて読んだ民俗学の本だったんだけど、すごく新鮮に感じたのは、民俗習慣や風習の痕跡を辿る手がかりとして、(漢字にこだわらない)言葉の音を徹底的に分析していることだった。たとえば、あの沖縄の常世伝説ニライカナイはニーラという八重山の言葉と関連があって、その意味は井戸の底で水がきらきら光っている様子のことをさすのだという。光がきらきらする感じが常世への入り口をイメージさせたというのである。

『海上の道』によればニライカナイの伝説は本土まで北上して、長崎県の五島列島に地名として残っている。現在の五島市三井楽町で、「みいらく」はミミラクという常世の島(谷川健一さんの本によると、万葉集や蜻蛉日記に出て来るらしいです)を語源としているとのこと....。この話(『海上の道』の中の「根の国の話」)を読んだとき、何気ない地名にも深い歴史が刻まれていることにとても感動して、ミミラクという言葉をしばらくネットのハンドルネームにしていたこともあるくらいだ。

「シク」とは何か。
アイヌとの関連は....いくらなんでも飛躍が過ぎると思っている。

でも、可能性はゼロではない。日本は単一民族ではないのだ。縄文人、弥生人と、いろんな民族が住み着いて長い時間がたっている。自分のルーツは、もはや純血といえるものではなく....むしろ「混血」といっていいのではないか。自分の中にいろんな血が混じっている。そう思い至る事で、いままで感じた事の無い力が湧いてくる。

絵を描いている人間なので「シク」がアイヌ語で「眼」であること、「いっぱい」....つまり豊かさを意味することは、とても名誉な事のように思える。ぼくは「シク」であって「シクナイ」ではないが、それでも自分の中に美しい川が流れているような気分にもなった。折しもいま、ぼくは加島祥三さんを手がかりに『老子』を読んでいる。老子では道(タオ)とは水のようなものだと説いている。そもそもぼくは3月生まれでうお座だ。大好きな音楽はフィッシュマンズだ....笑。共時性を感じます。

自分は眼のひとでありたい。
あふれるひとでありたい。
美しい川の流れるひとでありたい。

というか、人間はみな「眼のひと」であり、あふれる存在であり、美しい川ではないのか。
(気がつけ、人間。自分もふくめて)
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by ksksk312 | 2008-09-15 22:33 | 或る日