両忘

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個展のご案内。

下記の通り、長崎市で個展を開催いたします。

「志久洸介個展」
於・長崎月の美術館
長崎市館内町5-24
095-823-3829
2007年01月19日(金)〜2月5日(月)
開館時間・木〜日曜日・午前11時〜午後5時
    ・月曜日・午前11時〜午後7時
休館日 ・毎週火・水曜

会場に駐車場はありません。

「交通アクセス」

バス・新地バスターミナル、湊公園前下車、徒歩5〜10分
市電・一番系統正覚寺下行き、築町下車、徒歩10分
JR・長崎駅下車、市電一番系統正覚寺下行き、築町下車、徒歩10分
車 ・高速長崎自動車道、ながさき出島道路、新地中華街の有料駐車場へ
   (新地中華街より徒歩10分)

「会場までの道のり」

まず、新地中華街、湊公園にたどりついてください。
旧湊公園交番の十字路を、福建会館方面に進みます。なだらかな古い商店街が並ぶ坂道です。
3〜5分ほど歩くと、右手に古い市場(館内市場)と紅い中国風の門構えの史跡、土神堂が見えます。 そのまま坂道を上りますと、左手に福建会館という史跡があります。入り口の門を通りすぎて、最初の角を左折します。
左手、福建会館の紅い壁づたいに坂道を上ります。 坂道を上りきると、角に「月の美術館」の看板(小さいです)が見えます。石段を上った最初の二階屋が月の美術館です。お入りください。

詳しいアクセスは月の美術館ホームページ、もしくは志久洸介あてお問い合わせを。

++

年明けになってしまいますが、ご希望の方にDMをおわけしたいと思います。
さしつかえなければ送り先をご連絡ください。コンタクトはサイトのメールフォームか、ブログの鍵コメをご利用ください。


今回の個展は、前回の日田の個展で発表できなかった小型の作品を中心に、新作を何点か(ちょっときついか...笑)、 および詩作品を工夫して展示します。出来ればポストカードも制作(かなりきついか...泣)したいと思っています。

あれこれ思い悩むことばかりで、正直、なかなか準備が進みません...笑。しかし、とうぶん個展の予定はありませんし、 なんとか気持ちを奮い立たせて準備を完遂しようと思います。

ご来場をお待ちしております!

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by ksksk312 | 2006-12-28 14:41 | お知らせ、個展など

くるくるぱー。(カルロスの記憶)

HMVのサイトをのぞいていみると、2007年のニューイヤーコンサートのCDとDVDの予約が始まっていた。 2007年...まだ行なわれていないライブである。なのにパッケージは出来ていて、画像がサイトにアップされている。発売は来年の1月末。

ニューイヤーコンサートのライブ盤は、音楽業界最速のリリースらしいが、あまりの気の早さに(毎年のことながら)呆れてしまいます。

ウイーン・フィルのニューイヤーコンサート。

毎年かならず話題になるのは、誰がその年の指揮台に上るかということ。79年にボスコフスキーが引退してからは、 メータ、ムーティ、マゼールの3人のローテーションを基本として、あいだに単発で別の指揮者が呼ばれてきた。 もっとも、指揮者が代わったからといって、音楽がそれほど変わるわけではない。 野球でいえばオールスター戦にみたいなものなので、真剣勝負をやるとかえって文句が出る...オザワさんとかさ... (団員はみんな、アルコールが抜けてないんだよ)。

ただ、もちろん例外もあって、89年と92年のカルロス・クライバー。 これは...(まあ、あらためてぼくがいうことでもないけれど)空前絶後の名演奏だったです。87年のカラヤンもよかったけれど。

89年の初登場。クライバーがステージ姿を現わすまでのびりびりとした緊張感は、テレビを通しても伝わってきたっけ。 稀代のカリスマ、しかし迷惑なキャンセル魔としてびたび問題を引き起こすマエストロ、ほんとうに姿を現わすのか、はらはらどきどき...笑。 指揮台に無事に上ったときは、それだけでほっとしたりして。
そして演奏は...まったく目も眩まんばかりの美しさ。しなやかでエレガントな指揮ぶりにはため息が出た。 ほかのどんな指揮者とも、全然ちがうのだ...。 テレビの解説者は「クライバーにしてはおとなしい」と言ってたけれど(ぼくもそう感じた)、 いま聴きなおすとまったくそんなことはない。ニューイヤーコンサートにはめずらしい異様な緊張感が、あの高貴な演奏を実現させたのだろうと思う。

けれど、それを凌駕するのが92年の再登場。

このときは、「カルロスを楽しんでやるぞ」みたいなワクワク感が会場にあふれていたし、 クライバーのほうにも「いてまえ」みたいな覚悟があったように思う。実際、カルロスくん、ちょっと壊れている。 けれど、狂気のひとカルロス・クライバーは、ちょっと壊れてくれたほうがいい。

このコンサートの熱狂と楽しさは、全盛期のハリウッド、ミュージカル映画を思い出させてくれる。 フレッド・アステアやジーン・ケリーのタップ...、死人でも叩き起こして踊らせてみせる、みたいなパワーが、 この歴史的なコンサートにはあふれている。ただただ、熱狂。しかし音楽はまったく崩れず、エレガント。カルロスくんは、 オーケストラを指揮をしているのか、音楽に酔って踊っているのかわからないような動きをしている。魔術である。

もし、人生で「興奮の坩堝」という言葉を一回だけ使えといわれたら、 ぼくは迷わず92年のカルロス・クライバーのニューイヤーコンサートに使うだろう。

「彼はクルクルパーですから」

天才を評して、ウイーンフィルのコンサートマスター、ライナー・キュッヒルは、 日本語でそう言ったという(氏は夫人が日本人で、日本語が出来る)。うまいこといいますなあ。 クライバーは天才だったけれど、奇行も多く(テレーズ事件はあまりにも有名)、オーケストラとのトラブルが絶えなかった。 けれど、いったん指揮台に上れば、われわれを 違うプラネットに連れて行ってくれた。

来年のニューイヤーコンサートは、ズビン・メータである。

いちおう(惰性で...)見るだろうが、カルロス・クライバーのDVDも見ちゃうだろうな。 このディスクは落ち込んだときのカンフル剤なので、年がら年中見ているのだけど、やっぱりお正月には見たい。 というか、すでにもう何回か(適当にはしょりながら)見た。彼の楽しそうな棒ふりを見ていると、お正月がどんどん近づいてくるように思える。

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by ksksk312 | 2006-12-28 14:33 | 読書美術音楽、etc

神園宏彰氏の個展「線による試行」

2週間ほど前になるけれど、福岡まで足をのばして、展覧会や現代美術作家の個展を見て回った。 福岡県美術館(『大岡信コレクション展』)や青山ブックセンターのギャラリー、アートスペース獏にもひさびさに行った。 どれもおもしろかったが、そのなかから神園宏彰という方の個展(九州日仏学館、12月22日まで)について、書き記しておきたい。

神園さんは1960年生まれの写真家、美術作家、福岡市在住。
どういう仕事をしてこられたのか予備知識はゼロ。 たまたま新聞のタウン情報欄に載っていた作品の画像と個展のコンセプトに惹かれて、チェックをいれた。 「線の試行」とは、印刷物やデジタルデータなど氾濫する時代に、ものを描くということはどういうことか、 身体性の復権として絵画をとらえ直そうとする試み、そのための方法として「線」であるらしい。。

会場のギャラリーに入ると、入り口から向かって上手の壁に横長の平面作品が1点、貼り付けてある。 幅が1メートル50センチくらい、長さは10メートルを超えていただろうか。壁におさまりきらないので、左端は巻紙状になっている。 タイトルは『遠景』だという。

入り口から作品をながめると、画面全体からぼんやりと灰色の影がグラデーション状に浮き上がって見えた。 なんだろう...。遠くからは、彩色されているのか、それとも紙の質感によるものなのかわからない。 正体はなんと...極細の水性ボールペンで、画面上から下へと、ほぼ数ミリ間隔でびっしりと描きこまれていた(おそらく数千本の)黒い線であった。

これは、なんといったらいいのだろう。
線は定規をあてて引かれたものではなく、フリーハンドで描かれているので(ものすごい作業だ)、上から下へと微妙に揺れながら流れていく。 即座に連想したのは地震計の波形だが、線の密度から指紋のようにも、あるいは地図の等高線のようにもみえる。サイズがサイズだけに異様な光景。 なんか、すごい。

描かれている線はきわめて抽象的で、記号としての機能も物語性も拒否されている。 しかし、画面と対峙して喚起されるのは濃厚な人間の痕跡であるのにおどろかされる。 神園さんは自身のウエブサイトで「人間がはじめて引いた線は、どんな線だったろう」と問題提起しているが、 あたかもラスコーの洞窟壁画を発見した少年たちのように、作品を見ていると「この線は人間が描いたものとしか考えられない」 「人間にしか描けないものだ」という始源的なおどろきと新鮮さが湧きあがってくる。

別の言い方をするならば、それは狩人が深い森のなかで、突然たき火の跡を見つけたときのような...そんな感触かも知れない。 あり得ない場所で不意に遭遇する、人間の気配。そんなリアルな体験は、われわれの生活空間では不可能といっていい...。

人工物と人間があふれる都市空間のなかで、人間の痕跡(自分や他者、さまざまな類型を超えた人間の感触)、 ようするに身体性を意識することはほとんどなくなってきている。『遠景』は、都市空間に埋没した身体性を復権させるための装置であり、 リアルな「身体」そのもののといってもいいかも知れない、と思った。

さらに、個展では『遠景』のほかにもうひとつ、墨と鉛筆によるドローイングのシリーズも展示されていたので、ひと言。

こちらのシリーズは、縦長の画面に墨や鉛筆を自由に走らせ、抽象的な世界を追求したもの。 線の流れは即興的ではあるけれど、内的な調和や秩序があり、それぞれの画面で独自の世界が成立している...。 しかも、その世界はけっして完結しておらず、動的で、生々流転する過程の一瞬をとらえたもののようにもみえる。

ぼくには、墨や鉛筆で表現されたイメージが、縦長の「スペース」と格闘しているように見えて面白かった。 スペースのなかで(意図的かどうかはわからないけれど)線が調和と秩序を求め、同時に画面から飛び出そうともしている。 陰陽相反する力が画面のなかで運動をしているのだ。

縦長のサイズというのは、西洋絵画ではイコンや肖像画を原点とするのだという。 ...いや、西洋絵画にかぎらない。神の図像というのは、どの文化のものでもおむね縦のサイズにおさまるように描かれている。 (反対に横長は風景画を原点とする)
絵画の歴史とか観念の在りようが、縦長のフォーマットのなかで(必然的に)省察されているのかも知れない。そんな雰囲気を漂わせる画面であった...。

ドローイングを始めて一年と半年、人を乗せて飛べる飛行機を作らないといけないのに、プラモデルを作って喜んでいる自分が見えるようになってきた。 アーチストとして生きることや、制作することは、どういうことなのか、ヒントをいただきたくて個展に足を運んだ。

神園さんは『遠景』へのコメントに「自分の伝えたい思いやこれまでの人生の辿ってきた長い物語を語るには10メ−ターは必要」と書いている。 なるほど...。
ぼくは自分の作品に対して、こういう向き合い方をしたことは、まだない。 作品に対峙するスタンスはいろいろとあってもいいことは承知しているが、この言葉はとても参考になった。来年の活動につながればなあと思っている。


神園宏彰氏website
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by ksksk312 | 2006-12-27 15:04 | 読書美術音楽、etc

ふたりぼっち。


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福岡、須崎公園。
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by ksksk312 | 2006-12-27 11:44 | 写真 '06

写真。

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福岡、北天神。
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by ksksk312 | 2006-12-23 00:25 | 写真 '06

とっとっと。

父がこたつの上に写真をひろげていた。
定年退職したあと、大病を患うまでほぼ10年、お仲間と楽しんだ登山と窯元めぐりのスナップである。 撮りためたスナップはみんなアルバムに貼りつけてあると思っていたので、初めて見るものばかりであった。

「それ、とっとっと〜」
「ああ〜、とっとっと」

奥でやり取りを聞いていた母が「県外の人にはなにいっとるか、わからんやろね」と笑う。いわれてみれば、たしかにね。 ...そういえば東京で生活していたころ、向うで出来た親友(埼玉県八潮市在住)に、自前の一眼レフを見せながらこんな会話をした覚えがある。

「これ、ボディはニコンやけど、レンズはボサなんだよね」
「ボサ...。聞いたことのないメーカーですね」
「.......」

ボサが方言だと、そのとき初めて知った。
わかりそうでわからないところが、わがS弁の妙なるところだろうか。

「ツがとれた〜」
「あ〜どれどれ、ほんとだほんとだ〜。痛いの痛いのとんでけ〜」
ツ。(わかります?)
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by ksksk312 | 2006-12-23 00:22 | 或る日

写真

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鉄塔。
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by ksksk312 | 2006-12-18 20:59 | 写真 '06

大竹伸朗は左利き

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『美術手帖』の大竹伸朗特集を買う。
見開き、ギターを抱えている大竹氏の写真を見て、あっと思う。左利きだ。

昔から、左利きに憧れている。10代の頃、 「左利きは芸術や音楽に有利」という文章をどこかで読んだ記憶があって、 いまだに頭にこびりついている。 だから、左利きの人はすぐ目にとまる。。

実は弟と妹は、左利きである。妹の子どもたちも左利き。
自分だけがなぜか右。気にいらない。

坂本龍一は左利きである。
ポール・マッカートニーも、ジミ・ヘンドリックスも左利きである。

詩人のスチーヴ・ダラチンスキーさんも左利きだった。
著作にサインをいただくときに気がついて、「あーゆー、れふてぃ?」。
「いえす。ゆーつー?」「....のー」

ようするにコンプレックスである。やだね、やだね。

けれど、考えてみるに、日常生活は未だに右利きだけれど、創作活動に関しては違うのだ。たとえば詩は両手で書いている。 コンピュータのキーボードで、という意味でだけど...。

ただ、たしかに紙にペンで書いていたころは、無駄な映像ばかり書いていてまったく詩にならなかった。 それがマックをはじめてから、映像と物語がシンクロするようになってきた。 画一的な文字のフォントが無駄な自意識を消してくれたと思っていたが、そうではなくて、 両手で書いていたからよくなったのかも知れないと、いまは思う。

ドローイングの場合になると、全身の感覚が作品に影響してくる。
どんなに小さい作品でも、絵筆を握るのは右手でも、やはり全身。

だからもう、右利きでも左利きでもない。
(コンプレックスは消えてないけどさ)
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by ksksk312 | 2006-12-15 22:33 | 或る日

ナナ、小脱走

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勤めを終えて家にたどり着くと、母がいなかった。
台所、俎板のうえで、キャベツの半球がほったらかしになっている。

父に訊いてみると「ナナが脱走した」と...笑。

過去に脱走は何度もあったが、たいてい家の周りをうろうろするだけで、おやつをちらつかせるとすぐに戻ってくる。 しかし、今日はどういうわけか鉄砲玉のようにかっ飛んでしまって、姿が見えなくなったという。 子犬じゃないんだし、ほっといても家には戻ってくるだろう。 しかしうろついている途中で、子どもやお年寄りに飛びついて(名前を呼ばれると相手かまわずダイビングします...笑) 怪我でもさせたら大変なのである。帰宅早々、ぼくも散歩装備に身をかためて探しに出る。 ...と、勝手口を出たところ、母に捕まったナナが飛びかかってきた。よかったよかった。 (母と一緒に探してくださった近所の方々、ありがとうございました。

「コースケをさがしに行ったんじゃないか?」と母は言う。
まさか...笑。でも、ナナがわが家に来て2年半、家族をおどろかせるような不思議なことがないわけじゃない。 ナナ、きみはどこへ行こうとしていたのかい。ひょっとして...。

一昨日から『ダヴィンチ・コード』を読みはじめている。
中巻のまんなか付近までたどりついた。

期待どおり、読者をぐいぐい惹きつける力はある。しかし、重厚感が足りない。
作者はダヴィンチや秘密結社について膨大な材料を準備したはずなんだが、 ストーリーテリングの犠牲になって(おそらく)百分の一も使えてない。 物語は中盤にさしかかるというのに、殺人が起きてからの時間経過はわずか数時間、けれど謎の核心が姿を見せつつあるという...この展開の速さ。 シナリオライター、楽だよな...笑。
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by ksksk312 | 2006-12-11 23:21 | 或る日

満月の夜

月曜日は満月の夜。
おぼろ月夜。

勤めを終えてディーゼルカーに乗り、いつもの乗換駅で下車。
走りはじめた電車の中でぐったりしていると、聞こえてきた車内案内アナウンに固まってしまった。まさか...。 あわてて外を見るも、真っ暗で景色が見えない。

この電車に乗り続けていたら、佐賀県へ行ってしまう。
次の駅で下車。無人駅。高校の頃、鉄道写真を撮りに降りた記憶があるが、まったく土地勘のない地区である。 疲れがひどくて、早く家に戻りたいのに...。

下りの電車は1時間待たないと来ないので、近くにバス停はないか、真っ暗闇の住宅地をうろうろする。 さいわい5分ほど歩きまわって、バス停を発見。数分後には市内に向かうバスが来るようだ。 地獄に仏じゃ、としばらく背中を丸めていると、ぶうぶうと辻角を左折してバスがやってくる。が、れれれ。 反対車線を通過していくではないか。。なんでやねん。バス停はこっちにあるやんか。市内行きの時刻もちゃんと書いてあるやんけ。 なしか? 次のバスは2時間待たないと来ない。泣きそうになる。

冷蔵庫のような無人駅のホームで凍え(ここは待合室すらない)、ようやく下り電車に乗ったもののすっかり憔悴。 身体を暖めたかったので、ガード下のラーメン店にはいるが...いやはや、まずい。 土曜日に福岡天神で一風堂の白玉を食べたばかりで、舌のハードルが高くなっていたのかも知れないが、それにしてもまずい。 こんなスープで、一風堂より50円安いだけなんて...。

道草してもろくな事がなさそうなので、循環バスの最終便に乗って帰ることにするが...来ないんだな、バスが。 凍えて血液がシャーベットになりそうなのに...いつまでたっても来ない。 めらめらと怒りが燃え立ってきて、駅前の営業所にコンプレじゃ、と思ったがなんのことはない、 自分がタイムテーブルを勘違いしていた(休日用のタイムテーブルを見ていた)ことが発覚。

シャッターの閉まったショッピングモールをうろうろ。
閉店間近のミスドに入り、甘いドーナツを囓る。
これからどうしよう...。ため息。

家に帰ってベッドにもぐり込むしかないのに、これからどうしよう、って考えている。 なんだか、エリック・ロメールの『満月の夜』を思い出した。ストーリーは忘れてしまったが、最後の方、 恋人と上手くいかない主人公のパスカル・オジェは、真夜中のパリをただただ歩きまわる。 ひどく混み合ったカフェでぼんやりしていると、横に座っていた画家のおじさんがあれこれと話しかけてきたのだった。 塞ぎ込んで無視するパスカル・オジェ。それでもしつこく画家のおじさんは話しかけてきて...。すこしずつすこしずつ会話が動きはじめる...ダイアログの妙。エリック・ロメール、大好きだったな。

まあ、ここはパリじゃなくてS市で、ぼくは男でまだしっかり生きていて(パスカル・オジェは24才で死んだ)、 恋人との抜き差しならぬ関係など皆無。自分のことを孤独で、問題をかかえきれないほどかかえているような気にはなっているが、 ほんとのことろはどうなのか。ミスドのコーヒーは、さっきのラーメンに負けないくらい不味かった。 しかも許せないまずさ。(ラーメンは、ご主人が一所懸命に作っていたのでまだ許せるが、このコーヒーにはやる気がないのである) ははあ。 職場でいちばんみっともないのはやる気がないことだよな。ちょっと反省したりして。

ミスドの壁には、ねむの木学園の絵(複製画)が掛かっていた。
力強い、本物の絵。額の中から「おれは絵だ。おれは絵だぞ」という、まっすぐな声が聞こえてくる。 ここに男が座っていることに気がつかない人はいるだろうが、この絵に気づかない人はたぶんいない。 そういうのを描かずして、なにが絵だ。

母からケータイ。
夕方からナナが鳴き続けていて、どんなにあやしても止めないという。 「こんなに鳴きっぱなしなのは初めてやね...」「早く帰ってこい」と...。

やっぱり満月の夜。 ひょっとして、犬なりの第六感でぼくのことを心配しているのかな、などと都合のいいことを思う。
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by ksksk312 | 2006-12-10 21:37 | 或る日