両忘

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ON HARDCOVER

ODORUODORUODOU
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by ksksk312 | 2013-02-27 23:44

ON HARDCOVER

泳ぐ
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by ksksk312 | 2013-02-27 00:13

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まばたきしなさるな (萩原朔太郎)
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by ksksk312 | 2013-02-14 23:15

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南へ
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by ksksk312 | 2013-02-14 00:39

インモラルは殺せない。

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森美術館で開かれている会田誠展。展示中の(主に18禁の)作品について、児童ポルノ、性的暴力根絶などを訴える市民団体から抗議が寄せられているようだ。作品があまりにも反社会的、インモラルである、公共性の高い美術館での展示が許せない、作品を撤去せよ、そんな要求を突きつけている。

いつだったかテレビで、チンパンジーの精子と人間の精子を比較した映像を見たことがある。チンパンジーの精子はまず数が圧倒的で、エネルギッシュに動き回っている。それと比べると、人間の精子は(愕然としたのだが…)チンパンジーよりもずいぶん少なく、動きもかなり弱々しかった。なぜか?チンパンジーは乱婚社会なのだそうだ。メスは複数のオスと繁殖をするので、異なるオスの精子たちがひとつの卵子を目指して胎内で苛烈な競争をする。その営みが、何万年も繰り返されてきた。一方人間は、相互扶助、法と道徳に守られて家族を作り、繁殖をする。強い精子も弱い精子も生き残るから、チンパンジーとは大きな差が出てしまう。精子の強弱が、個体の価値を決めるはずはないが、社会の枠組、法と道徳のもとで繁殖することで、人間が失っていくものもある。

インモラルには、法や道徳に縛られ文化や社会が弱体化したとき、それを蕩尽し、あるいはばらばらにして攪拌し、動物的(根源的)な力を再生させる力があると思っている。もちろん、社会が無政府状態になって、性的虐待や暴力が容認されてよいというのではない。要は価値と文化の問題だ。道徳という名の客観性に一撃を加えて、弱体化した想像力と主観を取り戻すこと。

一部の会田作品はインモラルであり、毒である。たしかに誤解を招きかねない表現はあるだろう。児童ポルノや性的暴力を思わせるものを描いているという見方も、完全には否定しない。しかし、グロテスクでインモラルな表現から伝わるのは、生命のカオスというべき「力」ではないのか。ジューサーにかけられ、暴力的に粉砕される少女たちの絵はまさにそれで、形を失ったエロスが蕩尽され、カオスに戻ることを象徴しているように思える。蕩尽されたエロスは再生し、おそらくは循環していく。会田作品には、エロスの再生と循環のための、「瞬発力」が描かれていないだろうか。チンパンジーの精子のような動物的エネルギーを、われわれの価値と文化に取り戻すこと。ニーチェがいうところの「力の意志」。想像力としてのインモラルを、殺すことは出来ない。

今回の抗議は、現実からの「夜討ち」のようなものだ。異議申し立てをした団体の抗議文を読むと、会田さんや主催者に疑問をぶつけて、丁寧に議論するという姿勢はまったく感じられない。まあ、抗議なんだから、しょうがないか。「森美術館問題」なんていうスローガンも出来上がっているし。会田さんと主催者は、抗議に対して、粘り強く向き合うことになると思う。森美術館が作家に断りなく作品を撤去することはないだろう。しかし会田さんは、犬ついて、ジューサーについて、スクール水着について、ひとつひとつ説明していくことになるのだろうか。

芸術とは美であり善であり、真でなければならない…と固く信じて疑わないモラリストからみれば、会田作品は許し難いものとして目に映る。聞く耳を持たない相手に、会田さんが言葉でひとつづつ反論し、関心を寄せる者たちも発言を寄せるのだろう。しかし議論は平行線をたどり、「それは芸術か?似て非なるものか?」というありがちの二元論へ突き進むことになる。想像力のインモラルと現実のインモラルは、どのような回路でつながっているのか?知りたいのはそこなのに残念だ。突破口は「作品」しかない。
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by ksksk312 | 2013-02-05 11:46 | 読書美術音楽、etc

ふりかえる

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by ksksk312 | 2013-02-02 23:32