両忘

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堤清二さん亡くなる。

堤清二さんが亡くなった。

セゾン美術館、リブロ、WAVE、アールヴィヴァン、シネヴィヴァン、創成期の無印良品....。若い頃から「セゾン文化」にはユーザーとしてしばしばアクセスし、計り知れない恩恵を受けた。というか、ぼくらの世代にとってセゾン文化は(恥ずかしながら)青春だった。ヨーゼフ・ボイス、ロシア・アヴァンギャルド、アンゼムル・キーファー、武満徹と「今日の音楽」、ゴダール、糸井重里、日比野克彦....。すべてセゾンが供給し、ぼくらは享受した。

1975年、西武美術館が開館したとき、堤さんは図録に「時代精神の根據地(根拠地)」という文章を書いている。以下、少し引用する。

「1975年という年に東京に作られるのは、作品収納の施設としての美術館ではなく、植民地の収奪によって蓄積された冨を、作品におきかえて展示する場所でもないはずです。....言いかえれば、美術館それ自体が、たとえば砂丘を覆う砂や、極地の荒野の上に拡がる雲海のように、たえまなく変化し、形を変え、吹き抜けた強い風の紋を残し、たなびき、足跡を打ち消してゆく新しい歩行者によって、再び新しい足跡が印されるような場所であって欲しいと考えています。....だからこの美術館の運営は、いわゆる美術愛好家の手によってでなく、時代の中に生きる感性の所有者、いってみればその意味での人間愛好家の手によって動かされることになると思われます」(永江朗『セゾン文化は何を夢見た』から孫引き)

いまのわれわれが読むと、きわめて真っ当な、ごく当たり前と思えるような提言が述べられている。時代とリンクすること、市民目線であること、フレキシブルであること。しかし、当時はこういう美術館は無かった。いまでは当たり前のことの「始まり」、それが西武美術館なのだ。各地の素晴らしい現代美術館、成熟したアートフェス、西武美術館こそが源流だったとぼくは思う。

セゾングループの文化事業を、ワイマール共和国に生まれたバウハウスに重ねる見方があるそうだ。たしかに言い得て妙....。バウハウスは短命に終わったが、人材を作り、その後大きな文化的富をもたらした。セゾン文化もまったく同じだ。

前述した堤さんの文章に出てくる「根據地」とは、中国革命のときの用語で、革命成就のため農村に設置した軍事拠点のことをいうらしい。1975年の根拠地は「池袋」だった。しかしいまは、セゾンで育った、あるいは関わった個々の人材が「根拠地」となっている。場所から人へ、セゾン文化は、軍事用語でいうところの「散開」をしていまだ戦っているように思えてならない。そして、若い頃に革命を信じた堤さんの時代精神も、新しい文化のレジームの中に垣間見えるような気がする。

堤さん、安らかにお眠りください。

いまでもわくわくしています。
ありがとうございました。
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by ksksk312 | 2013-12-01 22:29 | 読書美術音楽、etc