北川浩二「静かな顔」
ひさびさにポエトリージャパンにアクセスした。
目に飛び込んできたのは「静かな顔」という詩...。言葉を失った。北川浩二という、はじめて聞く名前の詩人だったけれど、ほんとに言葉を失った。
涙があふれそうになるが、詩が泣きべそをかくなと語りかけてくる。人生の深い底から書かれた言葉にちがないのだけど、ヘヴィーにならず、自己慰安にもならず、凛としている。リンク先の「うつくしい孤独」もとてもいい。
谷郁雄さんのポエトリーブック(詩と対談集)『旅の途中』のなかで、三代目魚武屋濱田成夫が、詩人を野球のピッチャーにたとえている。「俺、詩人って野球のピッチャーのようなものだと思ってるんですよ。ピッチャーというのはみんな同じボールを投げるのに、 スピードも違えば変化球も違うし、球種も全部違う。 だけどルール(日本語)を守って投げてるし同じボールなんですよ ...問題はスピードなんです。つまり何キロ出てるかが問題で、130キロ以下だったらプロにはなれない」
ならば、北川さんはどんなピッチャーだろう。
「静かな顔」と「うつくしい孤独」を読むと、このひとは投球フォームの美しさだけで三振をとってしまえるような、そんなピッチャーじゃないかと思えてくる...。彼には速球も変化球もない(あっても投げない)。ただただ一球一球に想いをこめる。その姿勢にうたれて、バッターは球を打ちかえす仕事を忘れてしまう。
睡眠不足の朝。起きて愛犬を空き地へ連れ出す。
今日という日が、明日が、白紙のノートを差し出している。自分で問題を書き、解答しなければならない。北川さんの詩に触れて、とにかく希望をもたなきゃ、という気になった。さまざまな技法やトレンドがあふれかえる現代詩の世界で、こういう青天白日な書き手がちゃんといるのだ。詩集『再会』、オンラインですぐに購入しました。
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ポエトリージャパン、北川浩二さんのページ。
三代目魚武屋濱田成夫の「俺」についてのコラム(ページ、下から2番目)。
by ksksk312
| 2007-05-10 23:44
| 読書美術音楽、etc