人気ブログランキング | 話題のタグを見る

両忘

父のこと、崇福寺の施福。

父のこと、崇福寺の施福。_c0091055_222331.jpg

火曜日、母と外食に出た。
ずいぶん長いこと、家族で外食していない。4年前の夏、水族館にあるパスタ屋に行ったのが最後だったのではないか。翌年の冬に父が肺炎を患い入院、自宅で酸素吸入をするようになってからは(父が外出したがらないので)遠のいていた。

Y町のステーキハウスへ。(この3ヶ月、法要で懐石ばかり食ったので、母もぼくも迷わず洋食。飢えてました....笑) 母はシーフードのグリルを注文したが、もりもりとたくましく食っている。胃腸が弱く、小食でいつも何かしら残すのに本日は完食。「ようはいったね〜」「ふんふん....♪」という感じ。母が元気になりつつあるのを感じる。まいにち仏壇に供花し、合掌し、日々の生活を片づけるうちに、気持ちの整理がついてきたのかなあと思う。

父のことはまいにち思い出すのだが、亡くなる直前の姿だけではなくて、いろんな時代の父の姿が平等によみがえってくるのが、おもしろいなあと思っている。生きている人間の場合だと、現在ありのままの姿と、過ぎ去った過去の記憶という感じに分かれると思うのだけれど、亡くなってしまうとその区別がなくなってしまう。スーパーカブの荷台に乗せてドライブしてくれた若い頃の父、成人病を併発して苦しんでいた熟年期の父、登山やテニスで充実していた退職後の父、いろんな時代の父が「生きている」のである。すべてが過去の記憶として整理されるのではなく、むしろ生きかえる。驚きだった。

それでも、どうして死んじゃったの、という気持ちはやっぱりある。釈尊の説話にもあるように、死人を出さない「家」はない、とはいうけれど....。結局、父の記憶を糧にして、自分が自分を生きていくしかない。直接の記憶だけでなく、戦前の子ども時代、終戦後の混乱や東京での苦労話など、折にふれて聞いていた若い頃の父の姿、それらすべてをふくめた父の「生き様」が、これからの人生への問いかけのように響いている。「おれはこう生きた。お前はどう生きる?」。

土曜日のお昼。

テレビで長崎、崇福寺の中国盆の様子が放送されていた。ナビゲーターはエジプト考古学の吉村作治さん。崇福寺の中国盆は長崎ではおなじみの行事で、ぼくは行ったことがないが、母は子どもの頃何度も行ったことがあるらしい。派手できらびやかなお祀りなのだけど、番組の中で「施福」というおもしろい供養があるのを知った。中国盆は、有縁無縁を問わずすべての霊を慰めるお祀りなのだけど、体に障碍があって盆に間に合わない霊がいる、と信じられている。体の障碍で遅れて来る霊のために、特別なお供え物を用意して弔うのだという。たとえば、目の不自由な霊のために、境内の急な石段の脇には線香が立てられる。線香の明かりで、霊が本堂までたどりつくようにとの配慮である。

線香の列が、まるで現代美術のインスタレーションのように見えた。体がないはずの霊に、不自由な体の霊がいるというこの発想。そのかたちとしての線香の列。これです、これ。と心打たれる。世の中の常識やいろんな力学は、自由の枠組みが拡張されても(というより拡張されるがゆえに)どんどん生み出されてゆく。不可視の常識や力学を、心理学でいうところの図と地をひっくり返すようにして可視的なものとすること。アーチストの発想ではなく、伝統行事に守られた時間が、この美しいかたちを作った。著作権の存在しないところにも、アートは生きているのだ。枯渇して、やるべきことがなにひとつ見つからなくなった時、崇福寺の中国盆に行ってみようと思う。ギャラリーに足を運ぶより、ずっといいかも知れない。

今年もあと2日。苦悩の連続だったけど、がんばった。
「おれはこう生きた。お前はどう生きる?」。父の声が聞こえる。
by ksksk312 | 2007-12-30 02:00 | 或る日