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両忘

展示作業の徒然。

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二泊三日、ギャラリーに泊まり込んで経験した展示作業について。
思うところなどご紹介したいと思います。

そもそも、今回の個展のきっかけは、昨年の10月に、知人の個展を見るためにIAFshopを初めて訪問、持参した作品をギャラリーのスタッフにみていただいたこと。自分の作品に力があるのかまだまだ自信がなくて、そのあたりの意見を聴ければとかんがえていた。評価は悪くなくて、個展もすすめられる。しかしながら、スタッフの方々からは作品がどうのこうのというよりも「展示をどうしたいのか?どういう展示がいいのか?」という話をどんどん切り出され返答に窮した。展示....。なるほど。まったく考えていなかった。個展をするというのは、なによりまず「展示」をするということだ。制作とは別の次元のアイデアと作業が要求される。頭が真っ白になってしまった。

それでもホワイトキューブでの個展はやってみたい。
スケジュールをいただいて、準備をすすめることにしました。

搬入の日、先週の火曜日。リュックを背負い、作品と備品を詰めた紙袋を両手に提げ(この格好で天神を歩くとネット難民です)、IAFshopへ。決めていたのは大雑把なレイアウトのプランと、作品の貼り方だけ。展示する作品はほとんど決めていない。模型を作ったり、自分の部屋で作品を並べてみたりしたけれどあきらめた。現場の空間の中で、体感しながらイメージを出した方がいいんじゃないのか。48時間という時間があるのでじっくりやろう。基本方針としました。

夕食をとり、8時頃から作業開始。まずギャラリースペースから。
手始めに自分で「正面」と決めていた壁に作品を仮留め(ピンを打って挟みこむ)をしてみる。作品が....小さい。小さいのは百も承知だが、それにしても小さすぎる。壁も真っ白だが、頭の中も真っ白になる。ぜんぜん泳げないのに競技用のプールに放り込まれた気分。知人のJ野くんとスタッフのY嬢が、作品を並べて「志久さん指示をください....♪」と言ってくるが、なんにもできない。「とりあえず貼ってみましょう。指示してください」とJ野くんがどんどん作品を仮留めしていく。追い詰められてパニックになりそうになって、ようやくこれは「絵を描く」作業と同じなんだ、と気がつく。自分の絵を描くのに他人の手を借りることがないように、展示も自己との対話を繰り返しながら進める必要がある、少なくとも自分はそういうタイプなのだと思った。作品のレイアウトは自分ひとりにさせてもらってじっくりとやる、決まったらお手伝いしてもらう。そのやり方を貫くことにした。

2時間ほどかけて、ようやく「正面」のレイアウトが決まった。絵を5点と、詩をおさめた小さなオブジェを一点、リズムをつけて並べてみる。J野くんに見てもらうと「おー、かたちになりましたねー」。たしかに....とりあえずなんとか展示にはなっている。他の壁が作品で埋まれば印象も変わってくるだろうけど、ここを軸に他の壁を埋めていけばいい。映画の世界では、キャスティングが固まれば完成したも同然という言い方があるらしいけど、まさに展示のキャスティングが決まったような安堵感があった。作業そのものはまだ1割も終わってないけれど、うまくいきそうだという手応えはつかんだ。

その日は明け方の4時まで、作品を仮留めする作業をえんえんと続けた。
カフェではJ野くんとY嬢、あとから合流したアーチストのAさんが酒盛りをしている。めぞん一刻の五代くんになったような気分だった。



++

翌日、水曜日もひたすら作品を仮留めする作業。
レイアウトして数メートル離れた位置から確認、配列を変えたり、作品を取り替えたり、レイアウトそのものをこわしたり。答えが出ない時はデジカメに撮って、モニターでレイアウトを確認したり。コルトレーンやビル・エヴァンスを聴きながらえんえんと作業をくりかえす。壁はなかなか作品で埋まらないが、焦りはない。「正面」のイメージが固まっていたのでなんとかフィニッシュ出来るという自信があったし、アイデアもいろいろと出てきた。(たとえば赤い背もたれの椅子を見つけて作品を貼り付けたり、白い額に入れた「ごめんね」を玄関の外に展示したり)

そもそも、ぼくの作品のようにサイズが小さくてものがたくさんある場合、壁に貼りまくって空間を作ってしまう方法が一般的のようだ。フリージャズのように、感性で一気に壁面を埋め尽くしてしまう、みたいな....。そういうやり方を採用しなかったのは、一点一点を丁寧に見てもらいたという気持ちがあったのと、作品そのものが(さいきん始めた変形サイズの作品をのぞいて)すべて縦長画面だという事情がある。形状がすべて同じで、画面にびっしり描き込んで(貼り付けて)ある場合、空間をランダムに埋め尽くす展示ではいいリズムを作れないという確信があった。ランダムな展示では、作品は互いのノイズばかり引き出して不協和音を生み出すにちがいない。

今回の展示でイメージしたのは、ホワイトキューブを小さな家に見たてて、たくさんの窓=作品を穿つことである。小さかったり大きかったり、それぞれの窓からそれぞれの風景=コラージュが見えてほしい....。ぼくは20代の頃から建築作品を見て歩くのが好きで、とくに九州だと磯崎新さんの作品に刺激を受けていた。磯崎さんは窓の穿ち方がとてもおもしろい。思いがけないところにすぽんとひとつだけ開口していたり、広大な開口部をびっしり並べて透明な壁のようにしてみせたり。自分の展示でも磯崎さんの「窓」をイメージしながら、ある場所では行儀良く、別の場所では不意打ちするように....その上で全体のバランスがこわれないように、作品をレイアウトしてみたかった。

もちろん展示は作品の形状と位置決めだけで解決するわけではなく、作品の傾向とか色彩などのバランスも重要な要素として関わってくる。けれど「展示」は絵を描くのとおなじことだと気がついたので、無意識のうちに自然と気を配るようになる(あたりまえだけど)。展示は、お客さんへの配慮ということはもちろんだが、なにより自分の表現であるべきなんだろうと思う。作品と作品とがつながって「世界」になったという実感がないと、自分の個展という実感もつかめない。そこまでやって個展というものがおもしろくなるのだろう、きっと。

水曜日の深夜、ようやくギャラリースペースの仮留めが終了した。
仮眠をとって、翌朝9時頃からからカフェスペースの仮留め作業。こちらも遅々として進まない。作品を貼り付けては剥がし、また貼り付け、そして剥がし。カフェスペースは窓があったり、換気扇のひもがぶらさがっていたり、いろいろおもしろい障碍があって利用したいのだが、なかなか納得いかない。レイアウトがなんとか決まったのはお昼の12時くらい。右手の指は腫れあがっている。力がなくなってしまって板壁にピンが押せないので、マスキングテープで乱暴に作品を貼り付けるということも試み、ついでに(壁にペンキの塗りむらがありおもしろいので)作品の周囲に即興でマスキングテープ貼ってみた。すると壁自体が作品みたいになっていい効果が出た。(スタッフの方々にも評判でした)

1時頃、スタッフのI氏とY嬢が来てくれて、本格的に展示作業。
仮留めした絵にピンで固定(今後の展示のことも考え、作品には穴を開けていない。四隅をピンで押さえつける方法をとる)。クリップボードには穴を開けてピンを打ち込み、固定。最後の仕上げがさくさくと進む....。「正面」の作品だけは壁から浮かせて展示したかったので、ピン留めした発泡スチロールに、特殊な両面テープ(I氏が版画家の友人から電話で聞きだし、Y嬢が画材店まで走ってくれました)で絵を粘着。浮かせて貼るとすごくカッコイイ。思わず雄叫びをあげたのは他ならぬこのワタシです....笑。あと、ポストカード類を販売する棚の設営、玄関に展示する「ごめんね」へのスポットライトと配線、その他いろいろなこと、お二人が中心になって進めてくれました。開廊の30分前にはすべての準備が完了、個展は無事にスタートしました。

結論。個展で大切なことは、自分の作品をよく知ること、展示する空間をよく知ること、人の意見をよく聴くこと(スタッフの方々と議論して、「正面」の展示は最終段階になって手を入れました)、自分のスタイルがあれば貫くこと。ばかばかしいくらいあたりまえのことかも知れないが、それを体で覚える機会に恵まれた自分は幸せだったと思う。まちがいないく、次のステップにつながる経験だった。 ギャラリーとスタッフの方々に感謝です。
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by ksksk312 | 2008-04-03 13:04 | お知らせ、個展など